気まぐれ日記 06年3月

06年2月ここ

3月1日(水)「出張前に猫のうん@の処置をする風さんの巻」
 出発時間の遅い東京出張だったので、ゆるゆると起きた。入れ違いみたいにワイフが出かけて行った。本当にタフなワイフだ。感心する。
 着替えていたら、チャイムが鳴った⇒農協が集金に来た・・・と思う(ちょっと早過ぎるって!)・・・ぐずぐずしていたので諦めて帰って行った(ごめんなさーい)。
 階下に降りて、簡単に朝食を摂り、新聞を読んでいたら、シルバーが怪しい行動! げっげぇ〜! ソファの上にうん@を垂れやがった! 先日来、体調不良とボケのせいで、シルバーはときどきとんでもない場所に粗相をする。今、ほとんど目の前でやられてしまった。これから出張だというのに!  
 こういう場合、まだお尻についているうん@をあちこちになすりつけるので、急いでシルバーを浴室へ連れて行き、閉じ込めた。続いて、トイレットペーパーで、柔らかなうん@を拭き取り、ソファーのカバーをはぎとり、洗面所で手洗いした。応急処置としてはこれが精一杯だと思うが、白いカバーが黄ばんでいる。この黄ばんだ部分をシルバーの鼻先に持って行って、「だめでしょう!」と叱ったら、噛み付いてきた・・・ので、ひっぱたいてやった。
 カバーを干している間に、浴室で異様な音がしていたので、覗きに行ったら、窓を自分で開けて逃亡しようとしていた。急いで、窓を閉めて、鍵をかけた。恐るべき知恵猫だ。
 もう時間がなかったので、浴室に猫のトイレを置き、そのまま出張した。
 外出中のワイフにメールで後のことを頼んだ。
 東京での仕事を終え、帰りに東京駅で友人と落ち合い、頼んであった自費出版用の原稿のデータ化したものを、半分受け取った。そう。自分の原稿も大変だが、他人の原稿も面倒みなければいけないのである。

3月2日(木)「自分の作品で反省している風さんの巻」
 実は、今日も東京出張だった。
 昨日今日と、絶好の読書タイムと思っていた。土曜日の講演の準備である。
 行きの新幹線で、先週から読み始めた『算聖伝』をやっと読み終えた。自分の作品なのに、かなり忘れている。細かいところなど完璧に忘却している。今回、読み返してみて、そこそこの出来栄えに感動してしまった。よくこれだけのものを書けたものだ。文章も、とても自分の文章とは思えない良い描写が多かった。当然、欠点も目についたので、しっかりメモしておいた。
 帰りの新幹線からは、『和算忠臣蔵』を読み始めた。こちらは斜め読みである。2時間で200ページ読んだ。かなりくだけた作品にしたはずだったが、まだまだ難しい。もっともっと読みやすい作品を書かなければいけない、と反省した。そのためには、平易な言葉と文章に心がけなければ。

3月4日(土)「久々の講演で張り切り過ぎた風さんの巻」
 地元の高校の数学の先生が中心の研究会「西三数学サークル」のお招きで、講演をさせていただいた。タイトルは「数学は小説になる 『算聖伝』関孝和『円周率を計算した男』建部賢弘を語る」だった。
 ほぼ1年ぶりの講演だったことと、数学の先生が対象ということで、難しい話もオッケーと判断したため、大いに張り切ってフルコースのメニューで講演した。しかし、内容が多過ぎて、雑駁(ざっぱく)な印象を持たれた恐れもある。
 私の講演の内容はともかく、講演後の夜の懇親会に同席することで、私としても得ることが多かった。先ず、このサークルの家族的な雰囲気と息の長い活動に感動した。研究会とは言っても、決して硬くて難しい話ばかりしているのではない。身近なところで発見した面白いものを紹介し合い、教育現場での悩みを語り合い、そして数学に関係したトピックスで視野を広げているのである。今日も、工業高校の生徒に作らせたという大きな知恵の輪を持参して見せたり、100円ショップで見つけた面白グッズを紹介したり、生徒との熱い交流を語ったりして大変興味深かった。また、しばらく教員の採用がほとんどなかったため、先生の年齢構成がいびつになっていて、若手とベテランに二分されていることは、生徒指導のノウハウの伝承という点で、今後問題が起きそうなことも知った。
 あと、今日とてもありがたかったのは、出版社から事務局へ送ってもらった拙著、『円周率を計算した男』『算聖伝』『和算忠臣蔵』各15冊合計45冊に対して、出席者は30名に満たなかったにもかかわらず、売れ残りがたった6冊という結果になったことだ。サインは大変だったが、うれしい悲鳴である。私も家から何冊かの書籍をプレゼント用に持参したのだが、それらももらってもらえて良かった。
 帰宅は深夜になったが、就寝前のロックが美味かった。

3月7日(火)「着物に重ねた母の想い・・・の風さん」
 今日は中3の次女の卒業式である。PTAの役員をやっているのだが、出席の予定はなかった。昨夜帰宅するまでは。
 昨夜の帰宅も少し遅く、10時を過ぎていた。夕食を摂りながら、夫婦の会話をしている中で、今日の次女の遅い帰宅事件を聞いた。それを聞いても私はそれほど腹を立てなかったが、その後のワイフの話を聞いて、心の中で泣けた。それで、今日の有休を決意したのだ。
 ワイフの話というのは、今日、卒業式に来て行く着物のことである。ただ着飾って行こうとしたのではない。今日の式のために選んだのは、お気に入りの鴇色(ときいろ)の訪問着で、帯が私の母から贈られた銀色のもので、これは私たちの結婚式の時に締めていたもの、さらに黒地の羽織がワイフのお母さんから贈られたものだった。つまり、一番最後の娘の中学校の卒業式のために、出られない二人の祖母の気持ちのこもったものを身につける予定だと言うのである。
 昨夜、この話を聞いて、私は拙著『算聖伝』を思い出してしまった。最後の「断章」はアプリルの日記で語られているのだが、関孝和の妻から贈られてくる着物のことが書いてある。
 今の娘に語って分かることかどうかは自信がない。
 しかし、いつか自分が母となり娘を持って、その子の入学式や卒業式あるいは成人式などに臨むとき、自分の母や祖母の想いを、同じ一人の女として実感するに違いない。(できれば父が書いた『算聖伝』も、そのとき思い出してほしい)
 今朝、ワイフは5時起きで、何も食べずに美容院に直行した。
 髪型を整え、着物の着付けをしている間に、私はとぼけて次女を中学校まで送り届けた。
 家に戻ると、しばらくしてワイフが帰ってきた。
 「準備オッケー!」
 女としての戦場へ向かう、一分の隙もない完璧な身だしなみだった。
 自分もそうだったが、子供にとっては卒業式は学校行事に過ぎない。友達と楽しく過ごせれば、それで満足なのである。母の晴れ姿を誇らしげに眺める余裕はないだろう。まして父親の姿など。
 式も終盤になり、練習に練習を重ねた合唱に感動し、娘から両親への手紙に涙して、卒業式は終わった。
 ワイフの着物姿は、それで終わっても十分だったかもしれない。
 しかし私は、ワイフの子供に対する愛情と心意気に応えてやりたかった。
 ごく普通に出勤し、普通に帰宅していたら、一瞬も目にすることのない今日の着物姿を通して、二人の母の想いも重ねたその心意気を感じてあげたかった。
 春の近さを感じさせる青空の下、私はワイフとセントレア空港へ行ってランチを食べ、帰りにちゃっかり映画まで観て帰ってきたのである。

3月8日(水)「躾と教育と風説と・・・の風さん」
 今夜はPTA役員の仕事があって、中学校へ出かけた。
 仕事が終わった後、役員だけで、相談事があった。もうすぐ高校受験も終わるので、3年生全体の打ち上げ会を企画してやったらどうか、という内容だった。子供たちのために、何とか実現してあげたいという役員もいたが、会長は「不祥事を起こさないための用意が必要だ」と釘を刺した。副会長は「クラス単位やクラブ単位、地域単位での打ち上げ会はある。今年の学年はそれほど盛り上がっていないのだから、わざわざ全体の打ち上げ会まで準備してやる必要はないだろう」と言った。私は、「ハメをはずすことが目的の打ち上げ会など、中3のやることではない。主旨が気に入らない」と反対した。
 先日の西三数学サークルの研究会で、ある先生がおっしゃっていた。
 「最近、親の躾が足りないとか言っているが、もっと昔に目を向ければ、かつては大家族で祖父母と同居が当たり前だった。子供を見る目はたくさんあった。嫁が忙しく働いていても、子供の躾は皆で見ていた。それが、昨今は、核家族というだけでなく祖父母は近くにもいない。子供に手がかからなくなると、母親も働いている。生活水準を維持するためだ。家庭での躾という点で、きわめて悪い環境になっている」
 ビシッと躾ができなくなると、すべてが中途半端になり、結局子供は放っておかれる状態になる。
 義務教育も悪平等が強いられて、さらに子供に手を出すこともできないから、子供は無法になりかねない。
 世界に目を向ければ、戦争や飢餓や貧困は現実に存在しているのに、子供らにそれをまともに教えていない。世界で胸を張って活躍できる日本人になれるように、なぜ教育しないのだろうか。
 今日、楠木誠一郎さんから新刊『水戸黄門は旅嫌いだった!? 種明かし日本史 20人の素顔』(朝日新聞社刊 1000円税別)が届いた。日本史に詳しい楠木さんらしい本である。歴史というのは、なかなか真実が伝わらない。マスメディアにのったものが正しいものだと認識されがちである。ところが、実際は違っていたり、真説ははっきりしないことが多いのだ。本のタイトルは、それを象徴的に表しており、実際の水戸黄門は諸国漫遊したなどということはなかったのである。我々はくれぐれもマスコミの流す風説に惑わされないようにしなければならない。そういう意味で、この本の出版社は皮肉であるが。

3月9日(木)「近々増刷の吉報!・・・の風さん」
 会社の重要な使命を帯びて、今日も東京へ出張した。一方、バッグの中には、読まねばならない参考図書を1冊忍び込ませてあるのは言うまでもない。
 名古屋駅で職場の同僚とケータイで仕事の打合せをしていて、新幹線の乗車時間までの余裕がなくなってしまい、焦った。歩きながら電話していると切れてしまう心配があったので、移動しなかったのがいけなかった。
 のぞみ乗車中に出版社と電話しなければならず、テレフォンカードで公衆電話からかけていたら、あっという間にカードがなくなった。ケータイに切り替えたら、トンネルに入ってしまい、何度かかけ直さなければならなかった。結局、出張の仕事が終わったら打合せをすることになってしまった。
 渋谷での仕事が終わったときは、もう夕闇が迫りつつある時刻だった。神田まで行かねばならなかったのだが、予定外の行動だったので、時間が読めなかった。渋谷駅まで歩いて、そこから電話で待ち合わせ時刻を伝えた。ところが、電車に乗ってから、とてもそんな時刻ではたどり着けないことが判明したので、ケータイで待ち合わせ時刻を訂正した。
 仕事が終わってから、編集長と落ち合うまで1時間以上もかかってしまった。春一番のような風が吹きつける中を、早足で歩いてきたので疲れた。
 打合せは、主に『円周率を計算した男』の増刷の話だった。今回で第7刷となる。帯の文句などについて、意見を交換した。ありがたいことである。時期が来たら、トップページで紹介したい。
 往復の車中で参考図書1冊を読み終えるつもりだったが、特に帰りは疲れていてペースが落ちた。
 出張帰りに、予定外の仕事もできたのだから、ぜいたくは言えないか。

3月10日(金)「派遣社員の話・・・の風さん」
 朝から小雨が降っていた。春らしい不安定な天候が続いている。ミッシェルの走りも少し重い感じがする。
 いつものように、出社直後から、息つく間もない慌しさだった。会議で盛んに議論をしながら、通信接続状態のパソコンを手元に置いて、メールチェックしつつ(もちろん返信も)、報告書も同時並行で書いている。報告書は、昼休み中に印刷してファイルに綴じて、部下に本社まで持って行ってもらった。
 午後は来客があったのだが、相変わらず会議が続いているため、すぐには対応できず、ようやく夕方から対応できた。来客とは、うちで働いてもらえそうな派遣社員の女性のことで、職場を案内したのである。つまり、その気になってもらうためのPR。私の勤務地、愛知県は国内でも異常なところで、もう何年間も人手不足が続いている。有能な派遣社員は引っ張りだこで、本人がその気にならないと、雇用することもできない。信じられないかもしれないが、それだけどこの会社の職場も多忙で仕事がきついのである。
 私は大サービスで現場の中まで案内してあげた。その後、職場の同僚に説明をバトンタッチしたのだが、あとで聞いた話は、
 「彼女はもう昨日の段階で、うちで働くことを決心していたそうですよ」
 とのことだった(笑)。
 なーんだ。そういうことなら、焦りまくって現場を案内しながら宣伝しなくても、じっくり落ち着いて職場紹介すればよかったのだ。
 週末なのに帰宅が遅くなり、午後10時頃となった。
 遅い夕食を摂りながらワイフに自慢げに派遣社員の話をした。それが、実は、とんでもない落とし穴となった。
 「今度、うちで働いてくれる派遣社員の女性は、ぼくの好きなZhang Ziyiに似ているんだぜ」
 ワイフはぎろりと私を睨んでつぶやいた。
 「じゃあ、もうズル休みをすることはなくなりそうね」
 午後11時から執筆マシンに向かったが、メールソフトが動かなくなってしまった。

3月11日(土)「恐るべきは念力・・・の風さん」
 昨夜は2時間くらい対策を試みたが、メールソフトは復活しなかった。
 今日も朝から、さまざまの工夫をしてみたが、問題は解決しない。ソフトが立ち上がらないのである。
 夕方になり、アシュレイの中にあるソフトをそっくり移植することをしてみた。つまり、ここまでソフトに何らかの不具合があるとにらんで対策を試みていたのである。もちろん、ソフトが立ち上がりやすいように、Cドライブの容量に余裕をどんどん設けたことは言うまでもない。
 ところが、アシュレイのソフトでやっても修復できなかったことで、メールソフトの問題ではないことが判明した。
 技術的に詳細に説明する自信はないが、パソコンの立ち上げ時の設定の問題と私の知らない問題との複合原因だった。ソフトはパソコン立ち上げと同時に動き出していたのだが、画面上に現れていなかった。タスクマネジャーのアプリケーションにも表示されていなかった。しかし、裏で動いていることは間違いなく、タスクマネジャーのプロセスでそのソフトのexeファイルを終了させ、再び起動させてみると、今度は正規に立ち上がった!
 かつて、自分のパソコンを手に入れて操作するようになった頃、よくワイフが背後から近付くとパソコンが固まった。再起動やシャットダウンも効果なく、深夜、再セットアップと再インストールをするハメになったこは数知れない。きっとワイフがパソコンに嫉妬していたのだ(嘘)。
 昨夜は、つい私が口をすべらせたのがいけなかった。ぼくの好きなZhang Ziyiに似ている、などと。
 ワイフの怨念が執筆マシンに惑乱波動を及ぼし、私はにっちもさっちも行かない状態に追い込まれたのだ。これが、真の原因だったのである。
 うーん、IT、高度情報化時代とは言え、まだまだ人間の念の方が、あらゆるシステムを強力に支配している。

3月12日(日)「新作のプロットがバージョン2へ・・・の風さん」
 予想に反して、現在までの花粉の飛散量は昨年を超えているそうだ。幸いこれまでひどい目に遭わなかったが、今日からおかしくなった。天気予報では今日は朝から雨のはずだったのに、ちゃんと降ってくれないものだから、とうとうクシャミと鼻水攻撃に襲われた。明日は、さらに気温も下がるらしく、体調に気をつけなければならない。次女の第一志望校の受験も明日から二日間の日程でおこなわれる。
 体調といえば、この冬で、例年と違うことが一つある。老化現象の進展で、毎年肌が乾燥してかゆくなっていたのが、今年は、風呂上りにしっかりクリームをすりこむことで、何とかここまでしのいでこれた。これは、大成功。
 今日は、終日、書斎にこもっていた。相変わらず執筆ペースはのろまだが、某社向け長編のプロットのバージョン2が何とか今夜中にできそうなので、寝る前にメール送信するつもり。あとは、先方と時間が合えば、それに基づいて打合せをすることになりそうだ。
 そんなこんなで、一番大事な長編の執筆は、また手つかず。

3月13日(月)「鼻炎用カプセルで乗り切った風さんの巻」
 昨夜、弱めの花粉症の薬を続けて2錠服用したが、今朝起きてみると、どうにも体調が変だったので、最後の切り札鼻炎用カプセルを飲んで出社した。今日は、会社で大事な仕事があった。
 ミッシェルで走っていると、途中から小雪がフロントガラスに当たりだした。そう。今日も昨日に続いて寒いのである。冬が戻ってきたようだ。
 案の定、時間差攻撃ながらも薬が効いてきて、少々体がだるかったけれども、来客対応という重要な仕事もこなすことができた。終日デスクワークはできなかったし、いくらか疲労もたまったので、お客様を見送ったあとは、さっさと帰宅した。
 就寝前にロックを飲みながら、たからしげるさんの『絶品 らーめん魔神亭 森のおくでひっそり営業中』を読み終えた。少年少女向けながら、言葉使いやストーリー展開など抱腹絶倒しつつ勉強になる。私のように史実というか記録に忠実な歴史小説を書いていると、こういった自由な想像力と現代的な会話調の文体で構成された作品には新鮮な驚きを感じる。自分もかつてはこのような作品を書いていた。空想少年だったのだ。今、非情に苦しんでいる作品が一段落したら、子供向けの和算小説にも挑戦してみたい。

3月14日(火)「次女の高校受験が終了・・・の風さん」
 今朝も寒かった。しかし、風がない分、昨日よりは楽だった。それでも、花粉の飛散を感じたので、今日も鼻炎用カプセルを飲んで出社した。
 昨夜、プロットのバージョン2に対して、新たなアイデアが浮かんでしまった。これは何としても盛り込みたい。出版社に連絡して、打合せを延期してもらうことにした。
 会社でちょっとした原稿を書く仕事があって、昼休みにちゃちゃっと仕上げてメール送信した。事務的な文章は、報告書でも論文でも小説に比べて楽である。とにかく小説は難しい。
 次女の高校受験が終了した。昨日今日と受けたのが第一志望校だった。本人は持っている力をすべて発揮できたと言っているから、結果がどうあれ、納得するのではないか。親の私としては、良い結果が出てほしい。かなり優秀な生徒が集まっている学校らしいので、かつて私が秋田高校入学で受けたカルチャーショックを、次女にも味わってもらいたい。世の中にはすごいヤツがたくさんいることを知ってほしい。

3月15日(水)「感謝感謝・・・の風さん」
 昨日は数学に日だったようだ。円周率の3.14にちなんで、3月14日が数学の日だそうだ。小説「円周率を計算した男」で作家デビューできた私にとっては、こんな都合の良い日はない。
 今日は15日で、普通だったら新鷹会の勉強会に出席しているはずである。欠席しているのは、さまざまの仕事で首が回らない状態だからだ。今の私には少しでも時間が欲しい。
 実は、昨日の夜、『国家の品格』の著者、藤原正彦先生へお礼状を書き、今朝、ポストへ投函した。なぜお礼状を書いたかと言うと、今度増刷になる『円周率を計算した男』の帯に、藤原先生のお名前とお言葉(これはかつて読売新聞に書いてくださった書評の一部)を使わせていただくことになったからだ。ありがたいことである。
 ついでに打ち明けると、今年、私は日本数学会出版賞をいただけることになった。『円周率を計算した男』や『算聖伝』といった和算小説を通じて、一般の方たちに数学の魅力を伝えた、というのが授賞理由である。とてもそんなだいそれた貢献などではないが、これまでしつこく和算関連の小説を書き続けてきたことが評価されたとすれば、これほどうれしくありがたいことはない。応援してくださった方全員に感謝感謝である。
 昨年は、『博士の愛した数式』の小川洋子さんらがもらっている賞なので、今後は賞の名に恥じないように精進しなければならない。・・・とは言うものの、実力不足の作家なので、なかなか責任は荷が重い。
 授賞式は今月27日、中央大学理工学部でおこなわれる。

3月16日(木)江戸の学び・・・の風さん」
 今日はあいにくの雨模様の日だったが、わずかの時間を使って、久しぶりに江戸東京博物館に行ってきた。
 8日の中日新聞の朝刊に、文字書きからくり人形の記事が載っていて、見に行きたいな、と思ったが、とてもそんな時間はないと思っていた。その後、NPO和算を普及する会と東京書籍から、開催中の「江戸の学び−教育爆発の時代−展」の案内も来ていた。中身は読んだが、とても行けないと思っていた。
 ところが、たまたま仕事の時間帯が直前でずれたため、早く出発すれば、足を伸ばせる時間がとれたのである。名古屋駅で新幹線の切符の時間変更をして、予定より2時間早く東京に着くことができた。
 寺子屋と和算についてもう少し取材したかったので、絶好の機会だった。
 寺子屋に関しては、かなり具体的な知識が手に入った。そして、一番印象に残ったのは、教育は「読み・書き」が基本だな、ということだ。もう既に江戸時代から、生活は文字情報であふれていた。「読み・書き」が満足にできなければ非常に困る状態だった。逆に、そういった基礎というか足元がしっかり固まっていたから、江戸期の文化はあれだけ花開いたとも言える。
 関連書籍を購入したついでに、銀製の精巧にできた一分銀のレプリカを、自分のために購入した。

3月17日(金)「WBCに思う・・・の風さん」
 WBCで日本は運良く準決勝進出となった。米国人審判のおかしな判定や明らかな誤審が目立っているが、日本チームに対する不審が私にはある。特に、イチロー選手の言動が美しく報道されているために、他の選手はどうなっているのだろうか、という疑問である。国歌を聴いた時の感動や、韓国戦を野球人生で最も屈辱的な試合と断じたり、準決勝は負けてはならない試合と言っていることが報じられるほど、彼以外の選手の勝負に対する意気込みが伝わってこないのだ(マスコミの情報操作もあろう)。
 日本を離れて本場アメリカで大活躍しているイチローである。日本チームの中で、彼以上の高給取りはいまい。名誉も金も二の次で、今彼がプレーしているのは、日本という国の名前を背負って、国別対抗を戦っているという強い意識に違いない。
 野球はチームプレーである。王監督はチームが一丸となって戦えば結果はついてくる、と言っている。イチローもそれを意識して、事前の練習からハッスルしていたし、本番となっても、誰よりも早く球場入りして練習を始めている。他の選手は、それを見て「あれはイチロー流だから」で済ませているのではないか。
 かつて巨人軍のV9時代。王・長嶋は試合であれ練習であれ私生活であれ、すべてに率先して模範を示した。それをV9ナインが見習ったから、黄金時代は続いたのだ。
 いま、日本チームの中で、それをしているのがイチローだろう。現役大リーガーとして結果を出している選手が、誰よりも早く球場入りして練習を開始しているのなら、他の選手はそれを見習うべきではないのか。それをしないということは、結局、勝負に対する執念という点で、他の選手は欠けているのであり、いくら個人個人が優れたものを持っているとしても、チームとしての力にはなり得ない。
 兵役を免除されて油断があるかもしれない韓国に、もし準決勝でみっともない負け方をしたならば、私の不審は事実だったと思わざるを得ない。

3月18日(土)「執筆マシンの更新予定・・・の風さん」
 現在使っている執筆マシンは長男に譲り、私は最強マシンに更新しようと思っている。オーナー(私のこと)は年々老化してボケていくが、せめて執筆マシンだけは常にトップレベルに維持しておきたい。現在の執筆マシンは、グレードアップもできないのだ。
 モバイルのアシュレイの他に、我が家にはもう1台パソコンがある。最初はワイフのために用意した。しかし、普段使っているのは、子供たちである。それもゲーム中心。とは言え、使っているということは、それだけ利用価値があるのだから、それなりのスペックにしておきたい。こちらはデスクトップなので、メモリの増設が可能だった。購入時は256MBである。既に純正品の増設メモリは製造中止になっていたので、互換機種を調べ、さらにネット上での販売価格・条件を比較して、某サイトに注文した。定価の4割引程度である。それが今日届いたので、長男の見ているところで、そのSDRAMメモリを装てんした。本体の分解が容易になっていたので、あっという間に終了した。
 起動してシステムメモリの容量を確認したら、しっかり512MBに増えていた。成功である。
 お下がりにする執筆マシンのメモリは256MB、購入予定の新執筆マシンは1GBにするつもりだ。

3月19日(日)「集中力・・・の風さん」
 朝、いつもの時刻に目が覚めた。昨日降った雨の後遺症で、強風が雨戸を叩いている。それもかなり激しく。
 さらに2時間ほど惰眠をむさぼって、ふと気が付いた。
 会社の仕事である。ある戦略的な行動の決断の時が迫っていることに。かなり具体的なイメージで頭に浮かんだ。右か左か、整理して、決断しなければならない。目前のトラブル対応で、月曜日も始まることが分かっている。しかし、それだけをやっていたのでは前進はない。指揮者は常にメンバーの頭越しに先を見て指令を発しなければならない。
 気付いたのは、この具体的な仕事のイメージではない。
 アイデアとか発想といったものは、ふと頭に浮かぶものだ。上で書いた仕事上のイメージは、よく考えたり議論すれば分かることである。気付いたのは「集中力」についてである。
 ここ数年忍び寄る老いと真っ向から対峙して、そのほとんどに敗北を喫している。敵対視していたのがフィジカルな面ばかりだったからだろう。無駄な抵抗を試みていた可能性がある。しかし、本当のと言うか、問題視しなければいけなかったのは、徐々に襲ってきた「集中力の低下」だったようだ。
 確かに肉体的な衰えによって、すぐに疲労感が集中力を低下させる。自分ほど精神力のある人間はいない、とうぬぼれていたのは大きな間違いで、単に体力があり若かっただけなのだ。朝から晩まで、それこそぶっ倒れるまで働き通すことができたのも、決して高い「志」があったわけではない。元気だったからだ。
 そんな単純なことに、なぜ今まで気が付かなかったのだろう。
 執筆絶不調から脱する鍵は、「集中力」を取り戻すことに違いない。
 気まぐれ日記が、最近ブログのようになっている気がする。・・・それはともかく、この程度の文章なら、集中力は続く。小説はそうはいかない。

3月20日(月)「祝福メールがどっさり、ありがとう・・・の風さん」
 昨日今日と、日本数学会出版賞受賞の「お知らせメール」をあちこちへ送信したら、祝福の返信メールがわんさと来た。その中で一番早かった返信は、東京大学の金田康正先生からのメールで、午前3時過ぎの発信だった。いったいいつ寝ておられるのだろう、と不思議に思った。でも、私ごとき者からのメールにも、しっかりと返信くださるのだから、本当に頭が下がる。先生、ありがとうございました。
 そうかと思うと、「お祝いに駆けつけましょうか」というメールもあって、恐縮してしまった。ぼくが大ファンの神田紅さんには、文学賞を受賞することがあったら是非お願いします、と図々しいお願いをしてしまった。でも、真剣に頑張ろうと思う。
 勤務先の社内の友人・知人からもたくさんのメールが届いて、皆さんの期待の大きさをひしひしと感じた。
 帰宅したら、bk−1から注文した本が2冊届いていた。ここ5年間でbk−1から購入した本の248冊目と249冊目である。だいたい年間50冊くらいネット購入していることになる。もちろん、これ以外にネットの古本屋さんと、本物の書店からも購入している。ただし、・・・会社のメールと同じで、全部は読めん(-_-;)。

3月21日(火)「祝:王ジャパンWBC制覇・・・の風さん」
 会社の昼休みに休憩所で、WBCの決勝戦を観戦した。韓国との準決勝で勝って、まるで憑き物が落ちたような日本は、のびのびとプレーしている。強豪キューバに対しても、全く怖気づくことなく、堂々たる戦いっぷりで驚いた。ここ数年、プロ野球が面白くなく、全くと言っていいほど観戦していなかったので、知らない選手が多い。しかし、大リーガーに勝るとも劣らない、見事なプレーぶりである。サムライのような覚悟のイチローと比較して、他の選手の気迫を疑っていたが、どうしてどうして、やるじゃないか。あちこちの球団から集まった選手たちが、ジャパンというチーム名の下で、間違いなく結束していた。ベイスターズの多村やソフトバンクの川崎が気に入った。
 得点を上げるたびに「やったー!」の声。日本もまだまだ捨てたもんじゃない。昼休みが終わった時点で6−1。なんと日本リードである。
 帰宅するとき、ミッシェルの中で、日本が10−6で勝ち、見事優勝したことを知った。王監督はじめチームのメンバー一人一人を讃えあう素晴らしい日本チームに成長していた。
精一杯のハッスルプレーでチームを引っ張ったイチローに「おめでとう」と言いたい。

3月22日(水)「天国と地獄・・・の風さん」
 今日は次女の高校入試結果の発表日である。
 次女は早起きして出かけた。私も結果を早く知りたかったが、「分かったらメールして」とは誰にも頼まなかった。本心とは別に、これまで通りの冷静なポーズを維持したのである。
 出社した直後に、もうそのことは頭から消えていたのだから、会社とは恐ろしい所である。本人の望むと望まざるとにかかわらず業務にどっぷりと浸ってしまう。
 午前10時過ぎに、ケータイが鳴った。会議中で、「何だろう?」と、もう次女の合格発表など忘れている。
 ワイフからの「合格したよ」メールだった。
 (そうだった! 忘れていた。でも、良かった〜)
 その8分後に、またケータイが鳴った。
 「何だろう?」
 わずかの間にもう忘れている。
 次女本人からのメールで、見たこともないアドレスだった!
 (またアドレスを変えやがったな)
 会議が終わってから「祝福メール」を返信した。
 次女の第一志望は公立の美術科で、私もぜひそこへ入れたかった。
 不合格だった場合、浪人してでも受験する価値があると思っていた。
 本人やワイフにはその気はなかったふしがあるが。
 定時後になって、そろそろ帰ろうとしていると、また職場でトラブル発生となった。トラブルはよくあるが、タイミングが悪い。切羽詰った状況で、結果が見えてくるまで、残る必要があった。
 深夜になり、ふと気が付くと、胸のケータイにメールが・・・。
 ワイフからで「ごちそうでお祝いするから、早く帰って来て」という内容だった。「帰れない」と返信した(もちろん手遅れ。とっくに夕食の時間は過ぎている。
 結局、クリーンルームの中での実験にも立会い、やっと帰宅したら午前1時をだいぶ回っていた。次女は起きていたので、「おめでとう。すごい! 見直したよ」という言葉だけはかけられた。
 それから夕食と入浴で、就寝は午前3時となった。

3月23日(木)「美酒に酔う? ・・・の風さん」
 普通に起床したが、既に次女はいなかった。合格した高校に手続きのために出かけたのである。
 出社し、昨日のトラブル対応から仕事が始まった。だいたい処置が方向付けされたところから、むしょうに腹が立ってきて、苦言を呈した(かなり激しく)。これまでも怒ることは何度もあったが、部下全体にどれだけ伝わっているのか、想像できない・・・と言うより、自信がない。
 夕方の会議でも不機嫌で、何となく消化不良で帰宅することになった。
 帰宅したら、郵便物がどさっと届いていた。
 その中に『円周率を計算した男』の増刷本があった。派手な帯がついていた。書店で使うポップも入っていて、(これなら売れるかも)と感心した。
 神田紅さんからの封書もあり、「紅一門会」の案内状が入っていた。日程を見ると、もしかすると行けるかもしれない日だった。何とかしたい。
 「昨日できなかったお祝いだから」
 ワイフがフランスの白ワインを取り出した。
 「うん。飲む飲む」
 次女の合格と『円周率を計算した男』の増刷を肴に、二人であやうくフルボトル1本空けそうなところまで行ってしまった(実は、二人でそんなに飲んだことはない)。
 すっかり酔っ払ってしまった私は、入浴してさっさと就寝した。
 (実際は、半分くらい不貞寝に近いのだけど)

3月24日(金)「途切れなく忙しい風さんの巻」
 夕べはたっぷり寝たので、元気に起床できた・・・が、こういうときに限ってワイフは寝ていて起きてこない。
 自分で朝食を摂り、ワイフの席の前に、『円周率を計算した男』増刷本とポップスタンドを立てて出社した。
 相変わらず忙しいが、何とかマイペースに努めた・・・が、できなかった(また腹が立ってきてどうしようもなかった)。それでも、夕方になり、さっさと退社した。
 真っ直ぐ歯医者に行った。月に1回の「歯のお掃除」である。最近はせっせと糸ヨウジを使っているので、そろそろ「合格。もう来なくていいよ」と言われないかな、と淡い期待を抱いていたが、ダメだった。また、1ヶ月後である。
 外へ出てミッシェルに乗り込もうとしていたら、出版社からケータイに電話が入った。来週の打合せの約束の確認だった。プロットを送ってあるのだが、かなり興味を持ってくれているようだ。ありがたい。
 これからまた超多忙な週末が始まる・・・おっと、週末だけじゃない、週明けも忙しい。
 
3月25日(土)「久々のアイデア・・・の風さん」
 夕べは早く寝るつもりが、ついつい遅くなってしまった。こうなると、ひと仕事した実感を味わいたくなり、読みかけだった楠木誠一郎さんの『透明人間あらわる! 帝都<少年少女>探偵団ノート』を読了した。
 面白かった。高校受験でなかなか読めなかった次女が、まだ読み始めていなかったので、無理やり奪って読んだ。最近老化現象がひどくて、執筆が滞っている風さんとしては、こういった自由な発想の小説は、強壮剤に匹敵する刺激がある。自分が中学高校のころ、想像力には限界や境界がなく、文章もすらすら書けていた。そのころを思い出せるからだ。
 タイトルと書き出しから、話の展開や結末は想像がつかない。文章も読みやすく楽しい。複数の少年たちと犬に、次々にしゃべらせる工夫はお見事。
 ・・・と、楽しく読み終わって寝たのだが、睡眠不足で、1週間の疲れがとれないまま、今日の朝(昼近かったが)を迎えた。
 昼食後、はたして眠くなり、躊躇なく昼寝することに。
 かなりの時間寝て、目覚めたとき、とんでもないアイデアが浮かんだ。
 27日(月)は、授賞式だけでなく、夜に懇親会があり、5分程度のスピーチを依頼されている。そこで何を話すべきかで、ずっと悩んでいた。その悩みは、先日の西三数学サークルでの講演の時も抱いていた悩みと同じである。数学の先生方を前にして、いったい何を話すべきか、ということである。結局、良いアイデアが浮かばず、西三数学サークルでは、時間を延長して2時間かけて、すべてのネタを提供した。しかし、今回は5分しかないのだ。
 スピーチは、数学と小説の接点についてである(浮かんだアイデアは当日までヒミツ)。
 以前にも書いたことがあるが、小説家にとってアイデアはとても大切で、それがどのような時に浮かぶか、「三上」という言葉で表現されている。「三上」とは「鞍上(あんじょう)」、「枕上(ちんじょう)」、「厠上(しじょう)」のことである。最も多いのは「枕上」だろう。枕元にメモ帳と筆記用具を置いておく作家は多い。私の場合は、「鞍上」が一番で、ミッシェルの中に常備してある。
 それが、珍しく「枕上」でアイデアが浮かんだのである。

3月27日(月)「緊張した授賞式・・・の風さん」
 とうとう今日がやってきた。なぜかとっても緊張している。日本数学会からの表彰というのが、やはり身に余る評価だからだろう。できるだけ謙虚に(これが難しいのだが)、また失礼のないように、落ち着いて行動しようと思いながら自宅を出発した。
 授賞式は午後なので、まず今夜の宿へチェックインして、身軽になってから会場へ向かった。
 地下鉄「後楽園」駅は、一昨年の講演があった文京区シビックホールのアクセスポイントだった。今回は、中央大学理工学部に行くので、駅前から左折した。
 正門に「日本数学会」という看板が出ていたので、授賞式会場までは迷うことなくたどり着けた。大きな階段教室である。知り合いの出版社の編集長がいたので、挨拶した。前列から2列目が受賞者の席で、周囲を見渡してもいずれも数学者ばかりかと思うと、場違いなところにいるという思いが身を包みだす。
 若い研究者の授賞(50年はかかると予想された難問を10年で解いたとのこと)に続いて、10年ぶりかという関孝和賞の授賞があった(アメリカの研究所)。なかなかアットホームな雰囲気の中で式が進行した。
 やがて出版賞6組の表彰となった。「あいうえお順」とのことだったが、トップは福音館から『初めて出会う算数』という絵本を出された安野光雅さんだった。今回の出版賞の目玉だろう。
 夜の懇親会まで時間があったので、外へ出た。
 偶然だが、この近くは『算聖伝』の舞台である。正門から出て春日通りに沿ってゆるやかに歩道を登っていくと、やがて右側に伝通院があった。横断歩道を渡った。山門前もその奥も桜が満開に近い。
 山門をくぐってすぐ左側の隅に、『算聖伝』の重要登場人物ジュゼッペ・キアラの墓がある。調布市のサレジオ神学院にあるのが本物だが、これも後の人が建てた貴重な記念碑である。墓石が新しいので、ちょっと気付きにくい。出版賞受賞を報告しつつ、キアラの冥福を祈って手を合わせた。
 伝通院には当然家康の生母である於大の方の墓がある。立派な墓があって、猫が寝そべっていた。そのほぼ向かい側に柴田錬三郎の墓があった。二区画を占める大きな墓所で、左に球体、右にはサイコロ型の石が積んである。不思議な形をしている。礎石に横尾忠則のデザインと彫り込んであった。「小説が上手になりますように」と無理なお願いをした。
 さらに春日通りを登って、茗荷中学校脇の急な庚申坂を下り、@@線の高架をくぐって再び急な坂道を登ると、そこが切支丹坂である。この坂の右側一帯が切支丹屋敷があったところだ。右に折れてしばらく歩いたところに、切支丹屋敷跡の石碑がある。『算聖伝』では、少年の関孝和がオランダ少女アプリルと手に手をとって切支丹屋敷を抜け出し、伝通院まで逃げたところで追っ手に捕まる話にしてある。取材が生んだストーリーだ。
 夕方になって寒風が吹いてきた。喫茶店でコーヒータイムにしてから、再び中央大学理工学部に戻った。
 懇親会は3号館の最上階14階であった。料理も飲み物もたくさんあり、約2時間半たっぷり、多くの先生方と歓談できた。受賞者のスピーチタイムもあり、私は円周率の公式がたくさんあるように、恋愛の公式もたくさんある。人間を描く小説では、さまざまの恋愛小説ができる。人間は単純でないから、円周率や自然数、虚数みたいな人もいる。それらの人々がからんでオイラーの公式のような美しくも完全な作品を目指す。もしそれができたら、それは小説としても傑作である。てなことを話した。
 懇親会後、お世話になっている先生を誘って、銀座へ繰り出した。1年ぶりである。


3月28日(火)「小説家? 多忙な1日・・・の風さん」
 昨夜の懇親会には、舞台裏を務めている中央大学理工学部数学教室の人全員が参加したわけではなかったので、あまり寝坊せずに起床して、大会本部へ向かった。
 昨日お会いした先生方が忙しく働いておられたが、技術員の方が、積み上げられた拙著へのサインを求めてきた。な、なんと図書室に収蔵される拙著であった。さらに色紙も用意してあり、苦手ではあるが、2枚ほど書かせてもらった。これ以上ウロウロしていると、ボロが出るのは火を見るより明らかなので、早々に引き上げることにした。しかし、この二日間で、自分の書いている小説への熱い期待をひしひしと感じることができた。
 それからの行動はけっこう激しいものがあった。万歩計をつけていれば、そこそこの歩数が出たかもしれない。
 「後楽園」から地下鉄を乗り継いで「根津」へ行った。前々から見学したかった大名時計博物館を見学するためだ。いかにも下町と思われる細い路地を抜けて、やっとその場所にたどりつけた。塀で囲まれた屋敷の敷地内にある建物である。現在執筆中の作品や今後の作品のための取材が目的だった。百聞は一見に如かず、である。
 見学を終えて回れ右して「根津」駅を目指した。駅近くのトンカツ屋に入って、かきフライ定食を朝昼兼用で食べた(つまり朝ご飯がまだだったのだ)。かきフライは大きかったが、タルタルソースがついていなかったので、レモン汁をたらしてそのまま食べた。
 地下鉄で「新御茶ノ水」へ移動した。次の約束まで時間があったので、外のテラスでコーヒータイムにした。
 三省堂書店の2階のレストランで某出版社と打ち合わせをしたが、新たな考えが出てきたので、打ち合わせを手短に打ち切り、別の出版社に向かうことにした。
 地下鉄で「神保町」から「永田町」へ移動した。そこは、初めて行く出版社だった。こちらの申し出を親身に聞いてくれ、目的をほぼ果たすことができた。
 東京で最後の用事の時刻が迫っていたので、地下から地上へ出て、タクシーを拾った。東京駅のステーションホテルを指示した。すぐに着くかと思ったが、交通渋滞がひどく、約束の時刻に10分遅れた。
 ここで初めて知ったのだが、東京ステーションホテルは3月末で閉鎖して、5年後に大正初期に落成した当時の3階建てに復元されるとのことだった。もうすぐ閉鎖されるということから、レストランや喫茶店が駆け込みの客でごった返していた。運良く喫茶店の席が空いたので、某出版社と提出した小説のプロットについて打ち合わせた。
 結局「じっくりやりましょう」という結論で、プロットの形でストーリーの完成度を上げながら、執筆・出版のタイミングをはかっていくこととなった。
 朝からあちこち移動したが、ようやく今日の予定が終わったので、予定通りの新幹線に乗って帰路についた。
 帰宅して、二日間の仕事の整理がなかなか大変だった。

3月31日(金)「倍倍ゲーム・・・の風さん」
 毎晩、書斎での仕事が忙しい。ほとんど雑用だろう。でも、私にとってはやらなければならないことばかりだ。
 やや大変だったのが、出版賞に関するお礼メール。これは帰宅した晩と水曜日の二日間を要した。
 メールはとても便利だけれど、すべてがメールで済むわけではない。毎日のように郵便物が届くし、こちらからも郵便物を出す。昨夜は、知人の自費出版に関する手紙を準備した。これは着々と進みそうな気配で、ややホッとしてきている。
 かねて予定していた執筆マシンの更新。昨夜、ネットで発注した。現在使用している執筆マシンの購入価格よりも安いくせに、CPUの速度は3.2倍、メモリの容量は4倍、ハードディスクの容量も3.8倍である。これだけ性能がアップすれば、きっと傑作がすいすい書けるだろう・・・というわけにはいかないか(笑)。
 こちらがバタバタしている間に、合宿タイプの自動車運転教習所に行っていた長女が、1時間もオーバーせず、ストレートで卒業して昨夜帰ってきた。すごい、と感心していたら、今朝早起きして、運転免許試験場へ出かけ、私が帰宅したら、もう合格したという。私は、運転免許取得にほぼ1年を要したのに、長女はわずか2週間である。まるでパソコンというか半導体の進化のように隔世の感がある(とは正しい表現ではないかな)。
 ブログに私のことが出ている、と秘書の氷美子さんが教えてくれたので、チェックしてみたら、会社の同僚、元部下であることが分かった。ブログは日本人の特性に合っているのかもしれない。
 
06年4月はここ

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